AO入試は、廃止した方がいい。だが、存在する以上は受け入れるしかない。

 

個人的には、AO入試は反対派の立場です。

というのも、面接と作文(小論文)で結果が決まってしまうのであれば、小学校の頃から小説ばかりを読んでいる文学少女で、ルックスがいい女子生徒がいたら、圧倒的に有利になってしまうからです。

面接は、「感じがいい」ということが大切です。

ハキハキ話したり、ルックスが美男・美女だったりしたら、有利になってしまいます。

毒入りカレー事件の林真須美被告のようなルックスだと、どれだけ勉強ができても不利になり、大して勉強をしてこなくても、芸能人として活躍できるくらいのルックスがある人が有利になります。

こういった、先天性が重視される選抜試験は、試験として的確ではないと言わざるを得ません。

裁判の時に、「裁判官の心象」というのが判断基準の中にあり、Tシャツに腰パンで態度が悪かったら、求刑が重くなり、スーツを着ていて美人だったら、求刑が軽くなるというのは、納得いかないのは、私だけではないはずです。

 

その「心象」というもので決まるのが、面接の前提です。

なんとなく感じがいい人だったら合格で、なんとなく覇気がなかったりしたら不合格になるのは、なんとも不公平です。

ちなみに、小学校受験では、印象値が重視されます。

目が輝いている、はつらつとしていたら高得点で、ダラダラしていたら、入試に落ちます。

小学校受験では、まだ5歳の段階なので、心象で決めるのは仕方がないかもしれませんが、中学受験・高校受験で心象で決められるのは、不公平です。

 

 

では、どうしたら、一番公平に選ばれるのかというと、「学力試験」という統一基準です。

同じ試験を受けて、1点でも多く得点した人が合格する。

これが一番公平です。

「1点10万円で買えます」と言えば、お金持ちが有利になってしまいますし、「ルックスだけで決めます。美男美女しか合格できません」と言えば、先天的な資質で合否が出てしまいます。

AO入試があるなら、「寄付金の多さだけが基準です」というお金で決めた方が、その大学に入学したい情熱が、10万円、100万円という数字で計測できるので、まだ公平です。

それよりも不公平なのが、AO入試です。

けん玉ができたから大学に合格できたり、百人一首が上手だから大学に合格するのは、おかしいです。

野球で甲子園に行ったから合格できるというのは、体育大学であればありですが、普通の大学であれば、関係ないと言わざるを得ません。

受験の矛盾が内包されているのが、面接であり、AO入試です。

 

とはいえ、制度なのですから、仕方がなく認めるしかありません。

「ひどいなあ」と思いつつ、自分には関係ないから、勉強を頑張るぞと思えた人が、勉強に打ち込める人になれるのです。