アナウンサー物語(自伝)
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アナウンサー時代の写真



幼稚園
小学校時代

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中学時代
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高校時代
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浪人時代
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大学1年
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大学2年
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大学3年
(前編)

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大学3年
(後編)

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大学4年
(前編)

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大学4年
(後編)

-- S放送の試験、なぜかこれが順調であった。
試験の形態が自分に向いていたとしかいいようがない。

まず、書類に通過しなければならないのだが、この局は珍しく、作文を重視する局であった。
タイトルは、“なぜS放送を目指すのか?”であった。
書類の応募が、350人くらい

書類の通過が男女合わせて40人。(男14人、女26人)

いきなりここまで書類で絞り込んだのである。

ちなみに、俺は小論文でも浪人時代、全国で100番以内に入るくらいであったため、書類は余裕で通過した。
作文ならまかせろ!である。
妖怪人間時代の蓄積が生きたのである。

そして、なんと2次試験がいきなり筆記試験
普通は最終面接の手前くらいなのだが、やけに早い筆記試験である。
だが、それが自分には好都合であった。
試験科目は、英語と国語であった。各100点満点。

俺は代ゼミ模試で全国一位の実績もあるし、慶応模試、早稲田模試でも全国で10位に入ったことがある。
当然、両方とも満点に近い。
英語は知らない単語はほとんどなかったし、国語だって余裕で9割以上はいった。
いや、筆記試験は、受験者のなかで間違いなくトップ合格に違いなかった。
そして、2次試験の通過者は、男8人、女8人であった。

そして、3次面接(役員面接)
やっと本格的な面接である。
なぜか通過。
この時点で、男3人、女3人

最終面接。この時点で、今年は男をとることに決定。(男3人、女0人

そして、3人のなかで誰をとろうか決めかね、もう一度最終面接を行うことになったのである。

男3人が本社に呼ばれた。

すると、ラッキーな出来事が立て続けに起こったのである。

通過者の一人、M本は、他の局のアナウンサーにすでに内定していることが判明したのである。
彼は、一応最終面接を受験しに来たが、もう一つの局にいけばいいや!くらいの気持ちがあったようだ。
やや緊張感がなかったらしく、それを面接官に見抜かれていたのだ。

そして、もう一人、K藤
彼は一緒の慶応大学で、とてもいい奴だった。
顔もよく、しゃべりもうまい。
だが、ひとつ、彼のセールスポイントがいけなかった。
彼はまったく悪くない。
だが、彼はプロレス研究会に所属しており、プロレスが大好きだったのだ。
え?それのどこが悪いの?そう思うかもしれない。
だが、残念ながら、S放送には、プロレスマニアの男性アナウンサーがすでに存在していた。
キャラクターがかぶってしまったのだ。
俺は、彼に負けるなら仕方がないな・・・と考えていたが、
彼はプロレスが好きだ!という理由で合格することができなかったのである。
アナウンサー試験には運が必要なのだということをつくづく感じた。
(結局、彼はスポーツ新聞から内定をもらい、プロレスに携わることになる。)

そして残ったのが、この村上である。
セールスポイントは演劇と競馬
誰ともかぶらない。
演劇経験者は先輩アナウンサーには存在しなかった。
ましてや競馬については、
競馬場がない県であり、WINS(場外馬券場)さえもないのだから、かぶるはずがなかった・・・

そんなわけで、
消去法でアナウンサーに内定してしまったのである!!

俺は、新宿駅で人事部長から携帯電話に内定の知らせがかかってきたとき、思わず、
“これって、ドッキリですか?”と聞いてしまった。(笑)

“ははは。そんなことをいった内定者は君だけだよ。
本当に内定です。おめでとう。”

人事部長はそうおっしゃった。

妖怪人間からアナウンサーになってしまった。

その瞬間である。

忘れもしない、7月10日の出来事であった。
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