アナウンサー物語(自伝)
--

アナウンサー時代の写真



幼稚園
小学校時代

*
中学時代
*
高校時代
*
浪人時代
*
大学1年
*
大学2年
*
大学3年
(前編)

*
大学3年
(後編)

*
大学4年
(前編)

*
大学4年
(後編)

-- | 大学3年(前編) |

引越しも完了して、心機一転、本格的にアナウンサーを目指すことを心に誓った。

壁が厚くて、大声を出しても全く差し支えないアパートだ。
もちろん、風呂も便所も付いている。
人間的な空間で、ゴキブリと顔を合わせることもなくなった。

だが、今度の家賃は6万4千円。以前は2万4000円。差額は4万円である。
自分の一人暮らしは、仕送り無し、すべてが自費、親に頼らないというのが前提。
大学1・2年の、家賃2万4千円の時代は、仕送りが無くても、どうにか暮らしていくことができた。
だが、今回は、やはりどう考えても金銭的に苦しい。
社会人にとっては、4万円という金額はたいした金額ではない。
しかし、学生にとって1ヶ月につき4万円というのは、かなりの支出である。

さらに、アナウンス学校の授業料もばかにならない。
これもやはり、自費で賄わなければならなかった。
さすがに金銭的に苦しかったので、母親に“アナウンス学校の授業料を払ってくれ!”と一度は頼んではみた。
だが、期待むなしく、あっさり却下された。

母の言い分はこうである。
“あなたがアナウンサー??馬鹿も休み休み言いなさい。なれるわけないじゃないの!
あなた、人としゃべったことあるの? ないでしょ。
あなた、テレビ観たことあるの? ほとんどないでしょ。
いままで人前に出たことあるの? 友達とおしゃべりしたことあるの? ・・・ほとんどないじゃないの!
あなたという人間の、どこをどうみればアナウンサーに向いてるって言うの??
誰がどうみても、あなたにアナウンス学校の授業料を払うなんて、お金をドブに捨てるようなものよ!”

まことにもっともな言い分である。
投資家は、将来性の感じられない銘柄には決して投資をしない。
さすが家計をきりもりしてきた母親。
金の使い道に対しては、一流の投資家としてのマインドをもっている。
なんといっても、母親は自分の妖怪人間時代を、一番近くで目撃にしてきた生き証人なのである。。

大学2年まではカラオケボックスの徹夜バイト(夜10時ー翌朝5時)を週2日と、家庭教師を週1日やっていた。
確かに、家賃2万4000円の時代はそれでも生活できた。
だが、今度は6万4000円の家賃アナウンス学校の金を捻出しなければならない。
そのためには、さまざまなやりくりが必要だった。

そこで、カラオケボックスの徹夜バイトを、週2日から週3日に増やすことにした。
徹夜が週3回はつらいが、仕方がなかった。
やると決めたアナウンサーという目標のためだ。
そのくらいは仕方がない。
しかし、週に1回バイトが増えるということは、日給1万円×4週=1ヶ月で4万円となり、家賃分だけは捻出できる計算になった。

だが、
アナウンス学校分のお金にはまだ足りない。どうにかしなければならない。

そのため、まずは食費を押さえることにした。
一日に3食を摂るのをやめ、一日2食(たまに1食)にした。
朝メシは、ほぼ100%食べない。
昼もあまり食べないようにした。これで、一食500円として、500円×30日=15000円の節約になる計算だ。
おかげで、大学入学時、58キロあった体重は、大学4年のときには51キロになっていた。
不健康なやせ方である。
拒食症ぎみになったのもこの頃である。

さらには、大学(三田)までの定期券を買わなかった。(笑)
定期を買おうとすれば、月に1万円くらいは必要になる。この金を節約しよう。
大学に行く回数を減らせばいいのだ。

学生の本分は勉強だ!と言われる。
だが、経済学部の勉強など、当時の自分にとってはどうでもいいことに思えた。
経済の道ではなく、アナウンサーの道に進む。逸見さんの跡を継ぐのだ。
逸見さんが亡くなった今、“アナウンサーになること=素晴らしい人生を送ることだ!”と信じて疑わなかった。
ただでさえ自分はベム、ベラ、ベロ。
アナウンサーにはまるで向いていない。
人並みに大学に通いつつ、アナウンサー試験に合格しようなどムシが良すぎるではないか。
つい、このあいだまで妖怪人間だった自分が、アナウンサーという超難関を目指すのだ。
無駄な時間を過ごしていて、合格するわけがないではないか。

“大学で良い成績を取って、銀行・商社に就職する!” これが、いわゆる慶応経済のエリートコース。
慶応の看板学部である経済学部に入学し、人気ランキング上位といわれる銀行・商社に就職すること。
あたかもこんな人間が成功者であるかのような幻想が、慶応大学には蔓延していた。
そして、ほとんどの学生、親も、当たり前のようにそう考えていた。
大企業のエリート社員になれば、将来、社会的にも収入的にも安定した生活を送れるはずだ。
寄らば大樹の陰。 大企業への就職こそが幸福なエリート人生。
そう思いこんで、慶応経済を受験し、合格してきた人間が周りには本当に多かった。

だが、自分は違う。
慶応に入ったのは、妖怪人間である自分を受け入れてくれた大学が、たまたま慶応だったからだ。(笑)

自分は先天的にはまるでとりえがない。
だから、なにかひとつ、後天的に取り柄をつくりたい。
それが勉強だ!と思っただけなのだ。
なぜ受験をしたかといえば、
“受験に合格すれば、妖怪人間から、人間になることができると信じていたから。”である。
受験というフィールドにおいて、負け犬のままでは終われなかったからである。
決して、エリートになりたかったからでもなければ、金融機関に就職したいからでもない。
根本的に、他の人間とは、将来に対して持ち合わせている価値観が、まるで違った。
だから、エリートコースに興味のない自分にとって、大学の勉強は全く必要ない! そう悟った。

大学の勉強は捨てる。そのかわり、アナウンスの勉強はしっかりやろう。
自分でやると決めたことはきっちりやろう。
だから、大学に電車賃を掛けてまで毎日行く必要はない。
というわけで、大学三年のときは、大学には週に2日しか行かなかった。
結局、定期を買わなかったおかげで、毎月1万円くらいは生活費が浮いた。
もちろん、時間も浮いたため、その分をアナウンスの勉強に費やすことが出来た。

アナウンサーへの努力は、何も犠牲にすることのない努力だと思っていたが、実際には、食生活、大学の授業などを犠牲にしていた。

そして、さらに大好きなものを犠牲にしなければならなかったのである。
次のページ


--