アナウンサー物語(自伝)
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アナウンサー時代の写真



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(前編)

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大学3年
(後編)

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大学4年
(前編)

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大学4年
(後編)

-- | 大学2年 |

闇に隠れて生きる。
それが今までの人生だった。まさに妖怪人間状態。
でも、こんな自分じゃ駄目だ!変わらなきゃ!いや、変わってやるんだ!
そう思い、ありったけの勇気をふりしぼって演劇サークルに入り、役者をやることになった。
そういえば、いままでの人生を振り返ってみて、お芝居をやった経験なんてあっただろうか?
強いていえば、小学校の学芸会でチンピラCという役をやったことがあるくらいだ。
だが、このチンピラCという役は、主人公の邪魔をするチンピラ3人衆のなかでも一番の下っ端で、セリフはたった一言だけだった。
“おい、待てコラーー!”(笑)

まさにズブの素人とは自分のことだ。
だが、今までの自分に別れを告げるためにもやるしかないぜ!
そう意気込んでいた。。

好きこそものの上手なれ。たしかにその通りだ。
しかし、好きだが下手だという人もかなり多い。(笑)
自分はまさに後者だった。
(テニスサークル)のときと同じ症状に見舞われてしまった。
そう、受験のために犠牲にしてきたものに、またしても足をひっぱられるのである。

演劇のレッスンというと、発声練習をするだけだと思っている人が多い。
たしかに、屋上や川原で “アーーーーーー”などと奇声をあげている集団の光景を見かけたことは誰しも一度はあるだろう。。
だが、一人前の役者になるためには、柔軟体操筋トレが避けて通れない基礎訓練なのである。

体が柔らかくないと、演技も固くなり、自然に動くことができない。
もし、体が柔らかければ、その分だけ演技に幅ができるのだ。
よく考えて見れば、パントマイムをやる人は、みんな体がタコのように柔らかい。
そう、柔軟な体は役者にとって不可欠なのだ。。
また、役者たるもの、自分の思い通りに体を動かすことができて当然であるため、筋トレもしなければならなかった。

はっきりいって、この2つの訓練があるとは誤算だった。
ご存知のとおり、運動能力というものは自分に全く備わっていない。
柔軟体操では、前屈がマイナス15センチ。開脚も120度できるかどうか。。
まさに、
志村けんのコント状態。(笑)
そういえば、体が硬すぎるため、足の指の爪が自分では切れず、中学時代までは親に切ってもらっていた。(実話です)
まったくもって、柔軟性ゼロである。
筋力のなさに至っては、もはや言うまでもないだろう。
思えば、中学、高校、浪人時代と、参考書より重いものを持った記憶が無い。
(“伊藤の英文解釈教室” “ジーニアス英和辞典” が、一番重い部類に入るだろう。)
腕相撲では、妹にさえも、まるっきり歯が立たず、腕立て伏せは5回が最高記録。
腹筋も3回しかできなかった。
まさにスクールウォーズの
イソップ状態。(笑)

しかし、演劇サークルに所属したことにより最終的には、なんと腕立て・腹筋が20回づつできるようになった。
普通の人は、“なーんだ、そのくらいしかできないの?だめじゃん。。”とあきれるかもしれない。
だが、自分にとって腕立て腹筋が20回できるというのは、いままでの自分では考えられなかったことなのだ。
イソップが懸垂3回やったときの感動を思い出して欲しい。
そのくらい感動的な出来事なのだ。

人間としてのリハビリも兼ねて役者を志していたのだが、いつのまにか体力的なリハビリも兼ねてしまうとは。。。
おそるべし演劇パワーである。
まさに、役者としての訓練は、自分の成長にとって一石何鳥にもなった。

結局、大学2年のときは、演劇の公演には4回出た。
人前に出ること。
この、人生のなかで経験したことのない苦手分野に、真っ向から立ち向かった。
もちろんビビりまくっていたし、緊張の連続だった。
正直言って、弱点が克服できたかどうかはわからない。
だが、着実に一応人間というレベルから、普通の人間のレベルに近づいていった気がする。
そのことは自分自身認識できた。
結局、演劇サークルのなかでは、技術的には最低レベルで、一番ヘタクソな役者のままだった。
しかし、前向きに頑張った自分に対しては満足していた。
そして、演劇を通して一番得たもの。
それは演劇という共通の趣味を通してできた沢山の友人達であった。。
本当に演劇をはじめてよかったと思っている。

そして、忘れもしない、
12月25日。大学2年のときのクリスマス。
自分の人生にとって最大の転機となったのは、まさにこの日。
村上青年にとって運命の日が訪れたのである。。。
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